わたくしと家族とさくら

わたくしと病気の家族の日常、たまにさくら(柴犬)。

退院後の生活

母はかなり疲れ切っていた。手術を迎えるまで、術後の面会や付き添い、保険の支払い手続きなどなど本当に大変そうだった。私も仕事帰りに洗濯物を取りに行くことくらいしかできなかったけれどやっぱり疲れた。地元の病院で本当に良かったと思った。

 

退院してから、一番困ったのは食事だった。

流動食みたいなドロドロのものをたべるのかと思い、ミキサーも購入していたがまったく使わなかった(口でよく噛んで食べれば大丈夫と指導された)。

しかしまったく食べ物が入っていかない。水もやっぱりダメですぐ吐いてしまう。100円ショップで買った蓋つきのバケツに新聞紙で折った袋を入れていつもそばに置いていた。

しかも、抗ガン剤が始まったため味覚が変わったようであれはダメ、これはダメになってしまった。

母はほとほと困っていた。いろいろと胃を全摘した人のための食事を調べ作っても食べられなかった。私は代わりに美味しいと言って食べることしかできなかった。

 

夜寝ていると、父が寝室からトイレに駆け込む音が聞こえて、吐いているのがわかった。でも父の性格からして大丈夫かなんて声をかけるとよけい辛くなるのがわかっているので声はかけなかった。

 

そんな生活が2ヶ月くらい、続いたと思う。その後もおそらく辛かったとおもうんだけど、私が結婚のため家を出てしまったから身近では見ていない。

 

結婚式が術後に控えていた。

父は出席するためかなり頑張っていたと思う。

術後2日目〜食事

入院期間は7日間と言われていたけど結局延びて10日間になった。母としても、もっと入院してもらいたかったようだ。退院してきたら看病をするのに、どう世話していいかわからないと困っていた。私もそのころまだ実家にいたけど日中は仕事で、夜も遅い。何より食事がどうしたらいいのかと話していた。

 

術後の翌日から一人で立てと言われ、2日目からは動くことを推奨されていた父は、頑張ってとりあえず部屋に付いているトイレに行こうと試みていた。トイレに行き戻るまでかなりの時間がかかったと言っていた。その後日を追うごとに痛みがマシになってきて、退院するころには病院の中をウロウロできるようになっていた。出血をためておく機械を友達と呼び一緒に散歩していたようで、他にも同じような患者さんがたくさんいるんだと教えてくれた。がん友もできたみたいだった。

最初に術後の父を見たときは、すごく痛々しくて、自分の家族だからこそさらに痛々しかったのだけれど、だんだんと慣れてきて不思議なものだと思った。

 

食事のほうは、最初は水から始まって、おかゆや薄味のおかずと少しずつ増えていった。でもまったく体が受け付けず、食べられない。

退院間近のころはたまごボーロのようなおやつも出ていたけど、行くと私にくれるんだなこれが

食いしん坊なので私は遠慮なく食べるんだなこれが…

 

栄養が取れないので、メイバランスっていう液体のカロリーメイトみたいな飲み物もでるんだけど、こんなもんまずくて飲めるかっと怒り、やっぱり私にくれる父

そんなにまずくなかったんだけど…

 

痛みが少し落ち着くころから、親戚や兄弟がお見舞いに来るたびにがんが見つかってから手術、術後の地獄を語って聞かせていた。誰かがくるとやっぱり嬉しいみたいだった。最後のころは話慣れして得意になって話していた。

 

そんなこんなで退院の日を迎える。

術後

手術の次の日、仕事帰りに病院へ面会にいく。

ありがたいことに個室が空いていて、HCUから移動したようだ。

部屋に向かうとエレベーターのところで車椅子に乗った父と、付き添いの母にばったり。検査から部屋に戻る途中だったようだ。どう?と聞くと「痛くてしょうがない」とのこと。

体から血液をためておく機械や痛み止めの管やら点滴やらいろいろ出てた。

 

ベッドに移るのもひと苦労で、イデデデと言いながら看護師さんに手伝ってもらいつつ移る。

ベッドのリクライニングの位置を上下して自分が一番楽なポジションを探すが体が痛すぎてそんなもの存在しないようだった…なのでベッドのリモコン片手にずっとウィンウィンしてた父

 

部屋の中の温度も自分に最適な温度にしたいようで、私に温度のアップダウンを命じるが最適な温度などない。

頻繁に温度の注文がくるので、スイッチの前で待機しエアコン係となる私

痛みから気を紛らわそうと文庫本を手に取るものの数秒でギブアップの父

 

「俺は人より痛みに弱いんだ」と言っていたけど誰でもなるよきっと

ひたすら痛みに耐えていた…

痛み止めは、30分に1回、体につながっている機械からボタンを押して出せる。なので何回ボタンを押そうが30分に1回しか出ない。でも連打してた父

 

見ててすごく辛そうだった

でもせわしくてちょっと笑っちゃった

ごめんなさい

 

母もちょっとふふってなってた

「陣痛とどっちが痛いかなあ」なんて母に聞かれてたけど…「陣痛のほうが痛いんじゃねえか」と答えていたよ

 

食事はまだのようだった。

 

手術は成功した

携帯でよばれて、控え室から手術室の前へスタンバイする。そこからベッドに乗せられた父が出てきて、一緒にHCUまで付き添う。その後手術室へ戻り、切った胃袋と病巣を見せてもらった。

 

主治医はまた威風堂々として、

かなり上手にできた。うまくいった。を連発していた。

2個だけリンパにがん細胞が見られたのでそこも大幅に切り取った、見えるところはすべてとり、できることはすべてやったと話していた。これから病理検査には出すが、転移はわからない。ミクロレベルの話だから

と言われる。

私はこれが胃か…というようなこと、4センチと聞いていたがん細胞はかなり大きく見えるなと考えていた。胃はぺしゃんこの、昔の氷枕をおもいださせた。

 

HCUで、麻酔が切れ始めた父と面会をする。お父さん、お父さんとなんども涙声で呼びかける私たちに対し父はうんうんと頷きながら寒いんだよと若干キレ気味であった。

ほらっ旦那さんもきてくれたんだよと母が旦那を指すが、寒いんだってば…と父は寒気を訴え続け、看護師さんに電気毛布を持ってきてもらった。

 

帰りに看護師さんからテレビカードを持ってくるよう言われる。術後の刺激になるからとのこと。

 

ひとまず手術はうまくいったんだ、と主治医の自信満々の言葉を信じ、帰宅した。

手術

手術の日、朝早く部屋をたずねた。

父は下剤を飲んだが出ないというようなことを言っていた気がする。

お見舞い金を渡したが、結婚式でお金がかかるんだから返すよ。気にすんな。と言われ泣いてしまった。

 

手術っていうと、看護師さんがいっぱい来てベッドガラガラさせて手術室へ向かうイメージがあるけど違う。自分で手術着に着替え、帽子をかぶりスリッパで手術室へ向かう。

時間になり看護師さんが呼びにきて、私と母、父の兄弟で見送りに行く。

すると他にも手術予定の方が2人いて、それぞれ家族とぞろぞろ、歩いてきた。

じゃあ、と言ってがん患者は3人それぞれ家族に手をふり、手術室へ入っていく。

私はまた泣いてしまった。

 

手術時間は6時間を予定している。それまで母と二人で家族控え室で待つことになった。携帯を渡され、病院の中でしか電波が通じないので外に出ないよう言われる。食事は病院の食堂があると教えてもらった。

 

しばらく控え室で過ごした。手術時間よりもかなり短い時間で携帯が鳴った場合、それは昨日先生が言っていた病巣が散らばっていて手術できなかったということを意味するかもしれないからだ…

 

2時間ほどして旦那が仕事を切り上げてきてくれた。何もできることはないけど、家族の心の支えになった。

旦那がきたので3人で病院の食堂でラーメンを食べた。全然美味しくなかった。

食後気持ちに余裕が出てきて、売店で、父が入院中暇だろうからと漫画と雑誌を買う。味いちもんめを買ったら、母に「胃がない人に料理漫画って 笑」と言われそれもそうだなと思う。

 

そこからまた長い長い4時間を過ごし、6時間ちょうど、携帯が鳴った。

手術の前日

手術の前日、改めて主治医の先生から説明を受けた。

・病巣は4センチくらい、胃と胆のうは全摘をする(確か残しても機能しないからと言っていた気がする)。

・しかし切ってみて病巣が散らばっていたら(スキルス)そのまま閉じる。

・入院は1週間を予定(えぇ…短かっ)

・術後は寝たきりにならないで、なるべく離床していること

 

 

父が入っていたがん保険が古いタイプの保険だったようで、それは入院日数が15日ないと保険金が下りない。父は先生に入院日数を延ばしてもらえないか相談するが患者数が多いからと即却下…。

 

その後たくさん同意書にサインをした。

 

そのまま父は入院となり、夜だったので薄暗い廊下から夜間出入り口を出て、すごく不安な気持ちを母と共有しながら帰宅したのを覚えている。たぶん父が一番不安なんだろうとも思った。

しかし先生の物言いがすごくこう、ずばっ、ずばっ、て感じなので、そこに救われる部分はあった気がする。

 

手術までの間

手術までの2ヶ月、父は体力作りのため会社から帰ってきてからウォーキングに出かけていた。土日は1日10キロくらい歩いた。私もたまに付き合った。

 

あと外食もたくさんした。

大好きなお寿司を食べるのに、高いお寿司やさんに思い切って行ってみたりもした。

病気なんだから、と私は塩分、糖分控えめの健康的な食事をすすめて作ったりもしたけれど、

「もうすぐ食えなくなるんだから、好きに食わせろ」

と言われ何も言えなかったよ

がんに勝つ系の食事療法の本を買って持ってったけど意味なかった

 

いろいろ食べてた。

 

それから退院後に合わせてベッドを購入したり、必要なものを揃えたり、いらないものを処分した。

 

俺が死んでも結婚式は予定どおり行えよと言われて泣きそうになっちゃったよ。

 

私は私で、結婚式の準備をする上で

父にもしものことがあったらどうすべきかを旦那、プランナーの友人と相談していた。予定どおり行えって言われてもさ…

 

友人の経験談として、実際に直前に親御さんが亡くなってしまったことがあったという。そのときは参列者へ延期を伝えたとのことで、キャンセル料はいただなかったと話していた。

こういう話してると暗くなる一方だった。